今回店舗責任者となりました、田中と申します。
この度ホワイトフード株式会社は、2018年6月より株式会社レブニーズの 一員として事業を推進することになりました。ホワイトフードという店名及び、放射能検査や取り扱い商品はそのままに、今まで以上に事業に邁進してまいります。
2011年、3月11日。私は当時、福島県の郡山市にいました。大きな揺れだなと思った瞬間、これまで感じたことのない揺れに見舞われ、屋根から瓦が落ち、地面にひびが入り、家の中の家具は軒並み倒れました。 揺れが収まると同時に、吹雪のような強い雪が降り、 少し大げさかもしれませんが、この世の終わりのような風景でした。
騒然となる街中。家から出てきた人々は口々に驚きを共有し、今後訪れるであろう不安を案じていました。建物が倒壊し、道路は寸断。物資が滞り、ガソリンスタンドには長蛇の列。車中泊が当然の状態。自衛隊のヘリコプターが行き来し、高速道路は当初は自衛隊専用に。
物々しい雰囲気の中テレビをつけると、そこには見たこともない大津波が、福島第一原発を襲っていました。原発の放送を見るたびに不安にな気持ちをよそに、初めて聞く専門用語を冷静に専門家が話し、不要な外出は避けるようにとのテレビのテロップ。とはいえ、食料を求めて各所には長蛇の列。雨や雪が降りしきるのをかまってはいられませんでした。
日に日に悪化する原発の状況は素人ながらに理解ができました。ただし、家族もある。家もある。仕事もある。強制的に避難指示が出る地域に加え、個々人の判断で自主的に避難する人も出てきました。良い悪いではなく、自分の価値観のもと、全員が今をどう生き抜くかを本気で考え、行動していました。
その1年後、私は縁があった北海道に引っ越し、新たな人生をスタートさせました。インターネットで海産物を扱う会社に転職。それから7年が過ぎました。そこでまたも転機が訪れます。ホワイトフードさんとのご縁です。
ホワイトフードさんはしっかりとした検査を行い、 安心安全な商品を取り扱うことを信念に活動してきたお店。 その信念は、安心なものを食したいという強いお客様のニーズに合致するものでした。
私は今回このようなご縁に対して、自分自身の経験をもとに、本当に安心できる食べ物を全国から吟味、検査し、お届けしたい考えです。
ホワイトフードの経営理念やブランド、検査体制はこれまでと変わらず、これからも安心な食品をお届けする事で、引き続き、お客様第一の経営を目指す所存でございます。
お客様のお声を聞くごとに、強いニーズを感じています。これまでご提案できなかった商品を増やすとともに、検査結果を表示し、ご理解、ご納得いただける安心安全な商品をこれからも提供してまいります。今後とも、よろしくお願いします。
ホワイトフード店舗責任者 田中 秀伸